国産レンジファインダーの最高峰「Nikon SP」はニコンの原点
9割リストラで残った1割社員で再出発した
ニコンはもともと太平洋戦争では戦艦大和の測距儀を生産するなどした軍需会社である。
太平洋戦争で連合国に敗戦し、仕事がなくなった社員の9割はリストラされ、残った1割の社員で戦後、再出発した苦難の歴史を持つ企業だ。
残った社員たちは食いつなぐため、どんな民生品を生産したらよいか、悩みに悩んだ。
ニコンは全国に紡績工場や鋳物工場も有していたため、そうした工場を生かした仕事も俎上に上がったそうだが、敗戦翌年(1946年)には若き技術者たちがライカやコンタックスに負けない精密なカメラの研究に研究を始めていた。
おそらく、最終的には進駐軍にカメラ好きが多いことや、ニコンが戦前からコンピューターや光学機器分野を手掛けていたことがあったと思われる。
当時は食うや食わずの時代。ニコン社員は「最高機種をつくりたい」と希望に燃えても、資材の調達すらままならず、苦肉の策として、戦前から保有していた鋳物工場の砂型鋳物で作られたカメラが1948年に完成したNikon Ⅰ型だった。
その後のS型も砂型鋳物で作られたもので、私の所有する「Nikon SP ブラック」は当時、報道機関用に販売されたものだが、その感触は高級感だけでなく、まるで南部鉄器のような重厚感がある。
Nikon SPがライカM3に負けない名機と言われる理由
ニコンは1954年のフォトキナでライカM3を目の当たりにして、距離計カメラから一眼レフのF型に舵を切ったと言われるが、実際には一眼レフと並行して、ライカM3に負けない距離計カメラ(レンジファインダー式)の研究・製作も続けていた。
その結果、1957年に完成したのが、国産レンジファインダーの最高峰「Nikon SP」。
ライカM3はファインダー枠が50mmスタートだったが、ニコンSは28mm〜135mmまでのファインダー枠をすべてカバーするユニバーサルファインダーだった。
その後、世界の潮流は、レンジファインダー式からニコンF3など一眼レフに大きく変化し、ライカは経営危機に直面した。
もともと、ニコンは大日本帝国海軍の測距儀を生産していただけあって、東京帝国大学工学部出身者ら理系の秀才が集まっていた企業だ。
ニコン成長の礎となったのはNikon SPの研究開発に費やした技術と、終戦から生き延びようとした秀才たちの知見と努力だったと思う。
しかし、そのニコンがいま、2度目の敗戦に直面しようとしている。
ニコンを救いたい!私が考えるNikon再生プラン
報道機関もニコン一色ではなくなった
2年ほど前のこと。後輩に、最近の報道現場はどのメーカーがよく使われているか聞いたことがある。
私はもちろんニコンだと思っていたが、返ってきたのは意外な答えだった。
「う〜ん、キヤノンですかねえ」
正直、耳を疑った。若い頃、ニコンF3しか選択する気がなかった私の時代には考えられないことだった。
しかも、当時のニコンのプロサービスは会社までメンテナンスの出張にきてくれてサービスも申し分ないものだった。
ただ、ニコン初のフルサイズミラーレスカメラZシリーズの発表記者会見で、当時の社長が記者から「センサーはソニー製か否か」と聞かれて、返答に窮し、イエスともノーとも言えず、ぐちゃぐちゃな悲惨な姿を見て、かつてのニコンではなくなったという思いを強くした。
なぜ、正直に「ソニー製だ。しかし、味付けはニコン特製の具材が載った老舗のラーメンだ」という程度のことを言えないのだろうか。
ニコンS型やF型の開発に携わった更田正彦さん(元副社長)や後輩の小野茂夫さん(元会長・社長)らとはレベルの違いさえ感じた。
ニコン成長の礎となったレンジファインダー式のニコンSPだが、最近は、他社が発売しているレンジファインダー式のカメラは大人気だ。
経営危機に陥ったライカはレンジファインダーを守り通し、アマチュアの間でも「最後はライカ」というかつてのトヨタクラウンのような存在になった。(いやベンツかな?)
最近勢いのある富士フイルムは、X-Proシリーズに続き、X100Vというレンジファインダースタイルの高級コンデジを発表し、飛ぶように売れている。
その影響か、オリンパスがOLYMPUS PENのデジタル2代目を発売するかどうか検討しているとも聞いた。
一方で、最近、ニコンを使用するプロカメラマンですら、ニコンの経営危機を口にするようになった。
この4月には、信じられないことだが東京の拠点施設「ニコンプラザ銀座」を閉館した。(新宿と統合)
ニコンは戦後日本のカメラ史の中心となったメーカーだ。ある意味、文化的遺産ともいえる。
そのニコンを復活させる再生方法があるのだろうか?
ニコンは抜本的な出直しが必要だ
誰しも絶好調のときにこそ危機的な芽が生まれているものだ。
ライカの絶頂期はM3やM4を発表・発売していたころだ。一方のニコンは必死に後に不滅と言われるFマウントの一眼レフを開発していた。
ニコンF型カメラの人気でライカは経営が傾き、最終的にはライカファンの投資家が救済に入り、伝統的なレンジファインダーを守り抜いたことで、いまは富裕なファンらに支持される高級機種のブランドを確立した。
両者の明暗はどこで分かれたのか?
ライカには、現在生産していないカメラやレンズを文化的遺産や資産として守ろうというカルチャーがより強かったからだと思う。
歴史的に最も支持された方式やスタイルを守り、着実に進化させた。それゆえ、過度な技術競争には組みしなかった。
「ハイスペックなカメラが欲しいなら他のメーカーを探してみたら」。そんなプライドすら感じる。
もちろん、ニコンもNikon SP復刻版を限定発売したり、ニコンF3ユーザーに対し修理整備を実施するなど過去の歴史を尊重し、盛り返しをはかろうしたフシがある。
しかし、肝心なのは、最新のプロダクトにどれだけ自分たちの歴史を盛り込んだかどうかだ。
なぜ、Nikon SPオマージュのデジタルカメラを発売しないのか?
なぜ、F3と極めて相似したデジタル一眼レフを発売しないのか?
ソニーの後を追って、キャッシュバックを餌に安価なミラーレスZ50を発売して初心者を取り込もうとするのもいいが、自分たちの歴史に対してもっと自信と誇りと敬意を持って欲しいと思う。
本流は、小ぶりでも高級感のあるデジタルレンジファインダー「SP」を開発することではないのか?
SPのSマウントレンズは、スモモのような小さなレンズだ。Zマウントレンズよりも、はるかに魅力的なレンズ群に成長・発展するポテンシャルを秘めている。
なぜニコンのカメラが売れなくなったのか?
良いカメラとは機能やスペックの優劣だけではない。持ち歩きたくなるカメラであるかどうかが肝心だ。
どんな高機能なカメラであっても現場に持ち出されなければ、無に等しい。持ち出したくなるカメラかどうかが必須の条件だ。
その意味で、ニコンに普段、持ち出して見たくなるカメラが、どれだけあっただろうか?
私が約30年ぶりに本格的にカメラを再開しようと、各メーカーの機種を比較してみたが、残念なことに趣味として買いたいカメラはニコンにはなかった。
最初に目についたのが富士フイルム、次に興味を持ったのが小型で高性能なソニーαシリーズだった。
現在、この2メーカーは絶好調だ。
ニコンやキヤノンが著名なプロカメラマンやユーチューバーを使って自社機をPRしても、最終的に、消費者は賢い選択をするものである。
デジタル一眼レフが売れなくなって、ソニーを追いかけてZマウントのミラーレスカメラを発売したが、ニコンのZレンズは高価すぎて、この時代、さほど売れるとは思えない。
むしろ、時代に合致しているのは、ライカM型レンズよりも小ぶりなSマウントレンズだと感じる。
まずは、原点に戻って世界最高品質のデジタルレンジファインダーの研究・開発に着手することが遠回りなようで、将来的には大きな財産になるはずだ。
これほどスマホが普及すると、スタイリッシュで軽量小型化が容易なレンジファインダー式でなければ、本格的に売れなくなる。
デジタル「ニコン SP」でSマウントレンズがブームになれば、Fマウント一眼レフの再評価も再燃するかもしれない。
私はいずれ一