PENTAXとLeicaの類似性とは?
私がペンタックスで撮影する理由
新たな出会いは楽しいものだ。好奇心を高めてくれるものならば、なおさらである。
私はもともとスナップ撮影には7〜8割方、ライカ機材を使用していたが、最近はすっかりペンタックス使いになっている。
では、なぜ、ペンタックスなのか?
もともとニコンF3で仕事をしていたため、一眼レフに対する郷愁の念もある。さらにはミラーレス一眼の電子ファインダー(EVF)やシャッターの感触に徐々に「じゃない」感を抱き始めていたのも事実だ。
ただ、それ以上に、私が好んで使用していたライカとの類似性を感じたのである。
最近、ライカはオールドレンズを中心に値上がりが激しい。ライカ機材をYouTuberらが成功者のシンボル的道具として購入し披露する姿も目立っている。エルメスのバーキンを手にするが如き昨今の風潮にはどこか釈然としない自分もいた。
そんななか、ペンタックスと出会った。
ペンタックスといえば、ニコンやキヤノンと比べて、明らかに劣勢な一眼レフのブランドである。AF性能などは動きものに弱く、価格も一段安いというのが一般的なイメージだ。
ペンタックスとライカの類似性。
熱狂的なライカファンからは「ペンタックスと同じにするな」とお叱りを受けるかもしれない。
「そもそもライカとペンタックスでは機材の価格が段違いではないか」「レンジファインダーと一眼レフと全くシステムが異なる」「ペンタックスはニコンやキヤノンより格下のブランドではないのか」などといった反論もあるだろう。
それでも、私はペンタックスとライカに類似する何かを感じてしまった。
暴論に感じられるかもしれないが、その理由を説明したい。
ライカとペンタックスの歴史的な類似性
ライカとペンタックスの類似性。まず最初に感じたのは、それぞれの歴史とストーリーである。
改めて申し上げるまでもなく、ライカは1914年にオスカー・バーナックが現在のフルサイズに相当する35㎜カメラ(ライカ判)を発明して以来、レンジファインダー式のカメラを一貫して製造し続けているメーカーだ。
1970年代に日本製の一眼レフカメラが世界を圧巻したことから、ライカは経営難に直面した。株主構成が変化したり、日本のミノルタと提携することで、なんとか生きながらえてきた歴史がある。
私はミノルタカメラの工場で製造された中古のライカCL(1973年9月発売)を購入したことがある。軽量コンパクトで軽快なカメラではあった。しかし、ライカ全盛期のM3・M4と比べると、実にチープで、とても所有する喜びを感じることはできなかった。そのチープさこそ、当時のライカの経営状態を象徴していた。
それでもレンジファインダーを見捨てることなくM型ライカを作り続け、長年の経営的試練に耐えてきたからこそ、現在のライカ復興がある。
一方のPENTAX。かつての前身・旭光学(旧PENTAX)は1957年、世界で初めてクイックリターンミラーとペンタプリズムを搭載した「アサヒペンタックス」発売した。この方式は現在まで一眼レフ機の原型である。
一眼レフをめぐっては1970年代からニコンやキヤノンが台頭し、徐々にペンタックスはブランド力で後手に回った。2007年、光学機器・ガラスメーカーのHOYAに買収され、2011年にはHOYAがデジタルカメラ部門をリコーに譲渡。ペンタックスはたらい回しの如く、彷徨っている。
ライカは富裕層を主なターゲットにすることで経営難を脱したが、PENTAXはなお予断を許さない状況だ。
最近、APS-Cのフラグシップ「K-3 Mark III」(4月23日発売)を発表したが、この売れ行きがブランドの帰趨(きすう)を決定づけるとも見られている。
フルサイズ並みのファインダーや5軸5.5段分の手ぶれ補正、向上したAF性能が、どこまでカメラファンに評価され売り上げに貢献するのか、カメラ業界の関心時だ。
レンジファインダーと一眼レフ。カメラのスタイルや時期は違えども、経営難をめぐる歴史は酷似しているではないか。
しかも、ライカがレンジファインダーを捨てなかったように、ペンタックスは今後も一眼レフ専業を宣言している。
「一眼レフは日本の伝統芸のようなものだ」と言った人がいた。なるほど上手い表現だと思う。
ペンタックスは、その一眼レフの、いわば「始祖」である。応援したい気持ちが働くのは人情というものだ。
ライカとペンタックスのプロダクト的類似性
ライカとペンタックスの類似性。それは単に経営難の歴史だけではない。
プロダクトに同じ匂いを感じるのだ。とくにレンズ。具体的には、アルミ削り出しのlimitedシリーズである。
上記写真を参考にしてほしいが、とにかく鏡胴が美しい。そして小型軽量だ。
フィルムカメラ末期の2000年代初めに発売されたレンズだから、決してAFが速いわけではない。音もする。しかし、十分、私の好みの写りをしてくれる。収差を残した描写力は魅力的である。
デザインが美しく軽量コンパクト。これはライカレンズに貫かれているイデオロギーだ。
カメラのボディだが、M型ライカのように小型とはいえない。ミラーとペンタプリズムを収納する一眼レフの宿命だ。ただ、他メーカーの一眼レフと比較すると、総じてボディは小ぶりだ。
私が所有するフルサイズ「PENTAX K-1 MarkⅡ」を見ても、サイズは控え目、そして塊(かたまり)感がある。そのためか、チープさは感じない。
特筆したいのは、どの一眼レフにもボディ内手振れ補正を搭載している点だ。これはニコンやキヤノンと異なる。三脚ではなく、手持ち撮影を前提にしたカメラ作りともいえる。だから、スナップ指向のカメラメーカーなのだ。
最後に、もうひとつの類似点。
それはライカもペンタックスも使用している人が比較的少ないということだ。もちろん、希少性の意味合いは異なる。ペンタックスは販売台数が少ないのだ。
希少性の理由はなんであれ、他人が使っていない機材を使いたい。
そして、こう思う。
カメラは値段や資産価値ではなく、設計思想やデザイン、そしてストーリーが、自分の好みに合致しているかどうかで選びたい。
手振れ補正搭載のフルサイズ「PENTAX K-1 MarkⅡ」はスナップが楽しい
「PENTAX K-1 MarkⅡ」と懐かしの街・武蔵小山を歩いた(作例)
ペンタックスの最上位機種に君臨するのが、フルサイズの「K-1 MarkⅡ」である。2018年に発売され、20万円もあれば手に入る、いまだ現行機種である。
今回はその「K-1 MarkⅡ」とともに、懐かしの街・武蔵小山を歩いた。
武蔵小山は東急目黒線の目黒駅から急行で最初に停車する街だ。「東洋一」と称えられた長い商店街「パルム」があり、目黒区や品川区に住む人たちがよく利用するショッピングスポットとして有名だ。
かつて我が家も休日の買い物に利用した。都内ではテレビ局が主婦層のコメント撮りにカメラを出動させるスポットにもなっている。ちなみに、わが家人もコメントを求められる覚悟を持って出かけていたが、一度もテレビカメラと遭遇したことはない。
もうひとつ、私は武蔵小山の裏路地にあった飲み屋街が好きだった。フランス語で小道を意味する「りゅえる」という一角だった。
最盛期は200店近い居酒屋やパブ・スナックがひしめき合い、時が止まったかのように、戦後の飲み屋街の風情が残っていた。とにかく安くて居心地が良かった。
しかし、再開発によって、その裏路地は消え、跡地にはタワーマンションが建設された。以来、私も武蔵小山に足を運ぶことはなくなった。
懐かしの街がどう変貌しているのか確かめたかった。
まず、駅前に立って驚いた。
まったく見知らぬ街に変貌していた。駅側から商店街の入り口を見ると、当時の面影を残していたので、少しホッとした。
商店街に入ると、まるで当時と変わらぬ光景が広がった。
最後に、かつて立ち寄った喫茶店が健在かどうか、確認したかった。
「王様といちご」は健在だった。この喫茶店のパフェが大好物だった。コロナ禍でなければ、間違いなく休憩していたと思う。
思い出の喫茶店を確認すると、ある感情が高まってきた。
あの飲み屋街は消えたが、なにか面影がないのだろうか?
気づくと、いつの間にか、商店街を外れ、記憶の断片探しに彷徨っていた。
撮影者:PENTAX K-1 MarkⅡ+smc FA 77mm F1.8 AL Limited & HD FA 28-105mm F3.5-5.6 ED DC WR
撮影補助:さきょう
撮影を終えて感じたこと
懐かしの街を歩いて後悔したことがある。
あの飲み屋街が消える前に、あの雑多な裏路地や飲み屋のおばさんやおねえさんたち、そして一緒に飲んだ仲間との時間を写真に記録していなかったことだ。
さて、PENTAX K-1 MarkⅡの描写はいかがだったろうか。
有効3640万画素のフルサイズ機だけあって素晴らしい描写力である。色味も素晴らしい。過去のライカM10-Pなどで撮影した作例とも比較して欲しい。
それにしても、デジタル一眼レフは撮影が楽しい。ライカ、危うしである。
使用した機材
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