東京スナップは35㎜ズミクロンが心地よい!バブル期に暮らした目黒〜白金を散歩(M10-PとSummicron-M 35mm F2 ASPH.の作例) 目黒駅〜白金

スナップ
M10-P+Summicron-M 35mm F2 ASPH. (6bit) Ver5
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都市スナップに理想的なカメラシステムとは?

カメラ雑談!ニコン・キヤノンではなくライカを選択する理由

最近、カメラ業界のニュースはお先真っ暗といった風情だ。

とくに心配なのはニコン。キヤノンは安く作って高く売る商法が功を奏しているのか、なんとか今年下期は業績予想を上方修正している。一方、ニコンは映像事業の営業利益が昨年3月期に171億円の赤字転落。2021年3月期も450億円の大赤字を見込んでいる。ミラーレス分野におけるソニー独走に対抗できるのはキヤノン1社という業界図が鮮明になった。

競争なきところに発展はないので、ニコンも何とか盛り返して欲しいが、東洋経済に掲載された池上博敬・ニコン常務執行役員のインタビュー「当面はミラーレス集中、勝負はこれからだ」を読んで、一層、不安になった。

「当面はミラーレス集中、勝負はこれからだ」 | インタビュー/ニコン常務執行役員 池上博敬
――新型コロナ禍でデジタルカメラ市場は大きく落ち込みました。4月(のニコンの販売)は、レンズ交換式…

ミラーレスの強化が遅れた理由として「市場を冷静に、客観的に見ることができなかった」と反省する一方で、「ニコン製作のEVFは非常に性能がよく、他社と比べても評価は高い。一眼レフのOVFと見分けがつかないという評価もあり、自信につながっている」とミラーレス競争に向け自社製品の強みを強調した。

古くからのニコンファンはファインダーにこだわる。それゆえ、ニコンはミラーレスかレフ機か、力点の置き方に悩んだと思う。しかし、ニコンファンの声を聞いている限りは他社のパイを奪うことが出来ないばかりか、ソニーやキヤノンに一層パイを奪われるのではないか。

いまはファインダーのないスマホだけでなく、リコーのGRⅢやシグマのfpが売れる時代だ。カメラは贅沢な嗜好品。その嗜好品の潮流を把握し切れていないように感じる。

少なくとも、いまのニコンZシリーズはどんなに高性能であっても触手が伸びない。その理由は別の機会に書きたいと思う。

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そのニコンが2019年10月に発売したZマウントのF値0.95ノクト(「NIKKOR Z 58mm f/0.95 S Noct」)は、まさにニコンの現在を象徴するレンズである。光学性能はピカイチ。しかし、重量は2kg、価格約100万円。オートフォーカス(AF)ではなくマニュアルレンズ(MF)にもかかわらずだ。

ライカの「NOCTILUX-M 50 mm f/0.95 ASPH」に対抗したのだろうか?しかし、ライカのノクチは重量700gである。それでも、この重さは長時間スナップには実用的ではないと判断し、私は選択肢から外している。ニコンのノクトは3倍近い重量なのだ。いったい、どれだけの人が買うというのか。

こうした重量無視のレンズ群が、ニコンZマウントには目白押しだ。キヤノンのRFマウントも大きく重く高額なレンズが目立つが、それでも「RF600mm F11 IS STM」(約9万円)、「 RF800mm F11 IS STM」(約12万円)のように、F値を暗くし、軽量化と低価格化にチャレンジしようという意思は垣間見える。

ニコンはなぜ多くの支持を失ったのか、もっと深く考える必要があると思う。

さて、本題。

今回は私が1980年代を過ごした街・目黒〜白金スナップを紹介したい。当時は多くのカメラマンがニコンF3に憧れた、まさにニコン黄金期だった。私も仕事にはF3以外に選択肢はなかったし、ましてやライカに魅力を感じることもなかった。

2021年の現在、私の主要なカメラ機材は真逆になった。私が変化したのか、ニコンが変化したのか。どちらか分からないが、ひとつには私自身、カメラの用途が仕事から趣味に変わったことがある。

街角スナップに持ち出したくなるカメラとレンズ、街に持ち出しても目立たないカメラとレンズ、長時間撮り続けても体力を消耗しない重量とサイズ・・・こう考えた時、ライカは最適解のひとつだった。

そして、懐かしの地・目黒〜白金スナップにはライカの定番中の定番・Summicron-M 35mm F2 ASPH.を持ち出した。

非球面ズミクロンと球面ズミクロンの比較

Summicron-M 35mm F2 ASPH. Ver5(左)と通称8枚玉のSummicron-M 35mm F2 1st

今回スナップに使用した「Summicron-M 35mm F2 ASPH.」は5世代目。1997年から2016年まで20年ほど販売された。ライカを代表する定番レンズといって過言ではないだろう。

レンズ構成は絞り直後の第3群前面に非球面レンズを配置して収差を補正。開放から鮮明な描写となった。トレードオフとして、初代8枚玉など球面ズミクロンでは開放は柔らかで絞るごとにクリアに変化するが、そうした面白みには欠けると言う人もいる。この点は好みが分かれるところだが、興味のある人は以前掲載した8枚玉の作例と比較し、自分の好みを選択して欲しい。

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レンズの取り回しという点でも比較したい。下記の写真はレンズフードを取り付けた姿である。

写真で分かるように、長さはほぼ一緒。重量は8枚玉が150gに対し、非球面ズミクロンは250g。100gほど増加した。ただ、M10-Pとのシステムとしては約950gなので、木村伊兵衛さん的基準「1キロ以上は人殺し」ラインをクリアしている。

というわけで、950gのライカシステムで、3時間余り、思い出の地をスナップした。

35㎜の非球面ズミクロンは変貌した街を鮮明に描き出した

高層化した目黒駅周辺の撮影は35㎜が正解だった

私が目黒駅周辺に住んでいた1980年代。それはおかしな時代だった。

1980年代前半はどちらかといえば景気が悪く、就職もさほど楽ではなかった。ところが、1980年代後半になると、歴史的なバブル経済が到来。街でタクシーを捕まえるのも難しいほど、多くの会社員が自社のタクシーチケットを利用し、利益を持て余す企業と、株式市場や土地が作り出した得体の知れないマネーが街を闊歩する時代だった。

そのころ、私は目黒駅近くのワンルームマンションに暮らしていた。家賃は月14万円ほど。京都・大阪勤務を終えた私には、ひどく高い家賃に思えたが、それでも当時の新築賃貸マンションとしては安い部類だった。

通勤で毎日足を運んだ目黒駅周辺だが、大変貌を遂げていた。目黒駅の駐車場から外に出て、まず空を見上げた。

かろうじて駅前交差点は当時の面影が残っていた。まずは白金方面に歩いた。

ビルの谷間にある墓地。これは当時もあったはず・・・

首都高速の高架下を渡ると、港区白金台のグリーン地帯・東京都庭園美術館と国立科学博物館附属自然教育園が見えてきた。歩こう。

この日、東京都庭園美術館は休館日だった。

東京都庭園美術館には1933年に建設された旧朝香宮邸がある。以前、観覧したが、当時流行したアール・デコ様式の上品な住宅だ。特に正面から見た佇まいは端正かつ美しい。

一方、自然教育園は開館していたが、この日はある目的があったので入館は見送った。

隣には、港区立の白金台どんぐり児童公園。子供たちの楽しそうな声が聞こえてきた。都心には、こうした公共の広場が貴重だ。

今回のスナップは、ひとつ確かめたいことがあった。かつて気に入って通った白金のイタリアンレストランはコロナ禍の現在でも営業しているのか。

レストラン目指して、さらに目黒通りを進んだ。

左手にプラチナ通りが見えてきた。目黒通りよりも静寂に包まれていた。

最初の目的地に到着した。イタリアレストラン「カフェ・ラ・ボエム白金」。樹木に覆われ、当時のまま。お客さんも多く、何だか嬉しくなった。

ホッとして目黒駅方面に戻る途中、寒さに負けず、凛と咲いていた花。近づいてシャッターを切った。

次に向かったのは、1980年代に住んでいたマンション。しかし、徐々に日が暮れ、目黒駅を過ぎたあたりでM10-Pのバッテリーは残り少なくなっていた。

とうとう、M10-Pのバッテリーは切れ、常時携帯しているGRⅢと交代した。

結論から申し上げると、かつて住んでいたマンションは街の変貌とともに消えていた。あれから長い歳月が流れたことを改めて思い知らされた。

目黒川にかかる太鼓橋に立って五反田方面を眺めた。水面のリフレクションに息を呑んだ。(ここからはGRⅢで撮影)

次に中目黒方面を眺めた。「あれ?あれは・・・」

数々の芸能人が激写され、ドラマを生んだ「ホテル目黒エンペラー」は健在だった。「久しぶり。君は元気だったかい?」と話しかけるように屹立していた。

撮影者:M10-P+Summicron-M 35mm F2 ASPH. (6bit) Ver5 & RIKOH GRⅢ

撮影補助:さきょう

都市部の記録撮影は広角寄りの標準レンズが最適だ

正直言って目黒駅周辺にあれほど高層マンションや高層ビルが建設されていたとは思わなかった。今回のスナップは35㎜のズミクロンでなければ、高層建造物を画角内におさめることは困難だった。

しかも、非球面のSummicron-M 35mm F2 ASPH.は隅々まで解像感が優れているので、写真全面に鮮明なデーターを残してくれる。まさにドキュメンタリーレンズだと改めて感じた。

途中、気分転換を兼ねて花と背景ボケも撮影したが、街の変遷記録は写真全体にクリアなデータを残すことを心掛けたいと考えている。その意味で、今回使用したSummicron-M 35mm F2 ASPH.は都市スナップに理想的なレンズといえる。

広角寄りのレンズといえば、2019年にお亡くなりになった長野重一(ながの・しげいち)さんという写真家に触れておきたい。

慶応卒業後、「週刊サンニュース」「岩波写真文庫」を経てフリーとなり、経済成長で変貌する戦後日本を捉えたルポルタージュを発表した。とくに東京や地元撮影では28㎜レンズを使用した。今回、ふと長野さんを思い出した。

目黒駅周辺を久しぶりにじっくり歩いてみて、変貌に驚くと同時に、長い年月が過ぎ去ったという感慨と寂しさもあった。

ただ、それ以上に、街は人々の欲望や希望、感情の具象であり、その変遷を記録する意義が少しばかり分かってきたような気がした。

 

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